桃栗三年柿八年

今朝のおめざ

いただきものの林万昌堂の美味しい甘栗を無心てわムシャムシャ頬張る朝。

ピンポーンと和歌山の親戚から初モノの白桃が届きました。

「まぁ、桃栗三年柿八年だわ」なんて、ふと思ったのですが、

桃栗三年柿八年とは、何なのかなと気になりだしてしまいました。



もともとは、大阪のいろはかるたの「も」の札のことわざとして登場するそうです。

ちなみに江戸のいろはかるたの「も」は
「門前の小僧習わぬ経を読む」

京都のいろはかるたの「も」は
「餅は餅屋」
私の好きなことわざです。


桃や栗は木を植えてから三年しないと食べられる実がならず、柿においては八年かかる
実をつけるということは一朝一夕ではいかないよっというような意味合いだろうなぁ、

お恥ずかしながら、おおざっぱな知識しか持ち合わせておらず、

調べてみると、桃栗三年柿八年の後に、柚子や梅、色々な果物や野菜などが出てくる色んなパターンの続きがあることがわかりました。

地域によって違いがあるようですが、

・柚子は九年でなりさがる
・柚子は九年で花盛り
・梅は酸いすい十三年
・梨の馬鹿めが十八年
・女房の不作は六十年、亭主の不作はこれまた一生

勤勉に一生懸命仕事に励んだ人で、三年。

少し頑張れば八年。

普通にやっていて九年。

努力をしない人はその倍の十八年かかったところで一人前にもならない。

という意味もあるようです。

いずれにせよ、何事も成就させるためには、努力をした歳月が必要だということ。



先日、師匠に同行させていただいた東京で、姉妹弟子さん達とお会いして、皆さんがそれぞれに自分の目指す所に向かって、今できることを探してらっしゃるお話を聞かせていただき、私のお話もさせていただきました。


お話する時には、
言葉を出す前にも、途中にも、この言葉は自分の為だけの話しになっているのではないか

ちゃんとお相手の為に話しができているか、お話しながらも何度も考え、振り返っては反省もしました。


傲慢な言い方になっていないか、お伝えしたい内容にちゃんとその気持ちのニュアンスも纏わせて届けられてるか。
お姉さん弟子さんに失礼はなかったか。


お稽古するときにも大切な事ですが、お仕事相手にでも、お友達相手にでも、
人に伝えるというのは本当に本当に難しいものです。

せっかく師匠に、東京まで連れて行ってもらったのに、手ぶらで帰るわけにはいきませんので考えられる限りの準備はしていったつもりでしたが、足りないこともたくさんありました。
それも次回の課題として、いいお土産になりました。


お弟子さん方とは、これから先、お仕事でご一緒する事もでてきそうです。
これを機会に東京と大阪、離れた所にいますが、
師匠が望まれるように、頑張っている人同士が助け合って、高め合えれば嬉しいなぁと思います。

そしてその時、私もその一員として選んでいただけるように頑張り続けていかなければならないと思います。

今、私にできることを、日々コツコツと。

新しい文房具を買ったので、今日は図書館にお勉強に行ってきます。

お家に帰ったら着せ付けの練習もします。


美味しい実になるために、千里の道も一歩からです。








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