近江商人と丁稚羊羹

実は近江商人は、滋賀県にはおりません。

滋賀県出身で、全国各地に出向き、商売を営んだ人達のことを近江商人といいます。
滋賀県で商売をしている商人のことは近江商人と呼ばないそうです。




近江商人の理念として「三方よし」はよくいわれますが、
人材育成のための丁稚教育にもその〝世間よし〟の社会貢献の理念が色濃く現れています。

奉公させる丁稚さんは、商家の本家がある近江地方から迎え入れ、その子を立派に育て上げて一人前にする責任を持って教育をしたと言われ、人材育成を徹底したことが、近江商人といわれる商才に富んだ人材を多く輩出させた要因だとされています。

一般的に商人に必要なものは、「才覚」と「算用」と言われてますが、近江商人の元に奉公にでた子らは教育によってそれらを身につけ、さらには人として必要な誠実さと忍耐強さを人材育成の重要な評価項目として、人間性の大切さに重きを置いたとされてきました。

丁稚奉公から一人前に育て上げた奉公人は、番頭さんとして勤め上げた後は、きちんと暖簾分けを許されると、地元近江の地に別家をもらい、近江商人として全国に赴き、自分がしてもらったと同じように、また近江より丁稚を預かり育てたそうです。



そんな丁稚さん達が、お里帰りさせてもらった際に、奉公先に土産として持って帰ったのがこの丁稚羊羹です。





砂糖問屋の奉公人が暖簾分けを許された後、近江商人の守り神と言われている日牟禮八幡宮がある近江八幡の地に戻り商売をはじめ、商い物にしていた小豆や砂糖を使って作りはじめたのがこの蒸し羊羹の始まりと言われています。


滋賀県には海がないので寒天が希少で手に入りにくかったそうです。

そこで、小麦粉をつなぎとして混ぜた餡を竹の皮で包んで蒸した羊羹を、その当時の丁稚さんでも安価で手に入れることができたので、お土産として重宝された。

といのが丁稚羊羹の由来と言われています。




その丁稚羊羹発祥のお店「和た与」さんは創業から150年たった今も、日牟禮八幡宮の近くで変わらぬ味を作り続けています。

道路への飛び出し注意を喚起する看板、とび太くんも、和た与さんの店頭では丁稚スタイルです。




和た与さんのすぐお近くにはこんなとび太くんも。

このあたりのとび太くんは、個性的。

バームクーヘンが有名になりましたが、たねやがこの近江八幡で和菓子屋として創業したのも、近江八幡と餡子との歴史があってのことなのでしょうか。

時代劇の撮影地にもよくなる近江八幡。近くにあってまだまだ知らないことはたくさんだけど、
来てみて楽しい滋賀県です。


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